途中、PCがクラッシュしたり、
Win7に入れ替えたらルビが打てなくなったり。解決策としていきなりOffice2013を入れたらルビのインデントにマイナス設定ができなくなっててまたXPに戻ったり、資料が足りなくて再び四国へ行ったりと、色々とゴタゴタしましたが―――。いくらなんでも前巻から5年も経っていることに、唖然。
『天地の祭典 伃の章』 (2-1-7) A5判・P40・単色刷り表紙・¥200
相変わらずの「ナムチとスクナヒコのダラダラ国巡り」。
幼馴染・スクナヒコと従者の人間・ヒダカを連れて、疲れたナムチが湯にばっか入ってる巻。
「今月の神サマ」は当然、『エヒメ』。
三島の神も登場します★
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『谷々』で一区切りがついたので、この巻からちょっと趣を変えました。
実はあまり売れなかったら、『谷々』を最後にしようと思っていた『天地』。
試験的に始めた本だったので、ダメだったら当然打切りです。なのに本命の『幸魂』より出てます、コレ(苦笑)。
嬉しいような、悔しいような・・・・・・
で、せっかく続けるなら、もうちょっと遊び要素を増やしてみようかと。
ページ数は変わらず40でも、短編とか4コマとか入れました。(ウンチク頁は「マンガ本」を維持するために自重)
長編癖があるので続けられるかわかりませんが、ページ余ったらどんどん遊んでみようと思います
*** ******* 作中解説 ***********
四国どころか西日本最高峰にして100名山、植生的にも造形的にも素晴らしいジオエリア、石鎚。
奈良時代から
修験道の場とされ、徳島の剣山と双璧の
山岳信仰を誇り、ローカル神社にしては珍しく北は北海道、果ては海外(ハワイ)にまで分社を持ちます。
<御嶋の神>
この海域が海族(海賊?)の根城なので戦神として崇められておりますが、元々は移住してきた海人族の神でしょう。このエリアの「海の神」は庶民信仰の
金比羅さまや
厳島・住吉系の方が強いので、戦的な神威はこの三島の神が担った感じ。
W的には、
静岡県の
三島大社(あちらの社名は「伊豆諸島=御嶋」から)との関係はまるで無いと思うのですが、さて・・・?
< 道後 >
作中で「道後」の説明を出しましたが、こちらは「どうご」ではなく「みちのしり」。「この時代ではこういう意味でそう呼んでいた」と言う設定で、こじつけチックにやらせて戴きました。
「道後」は7世紀に各国で設けられた地域名です。国府(伊豫は今治市)の中心部を「道中」、都に近い方を「道前」、遠い方を「道後」とした、その遺称。
現在他の県には残っておらず、愛媛も松山市のあの辺りを「道後」と呼ぶだけで、明治まで残っていた「道中平野」という名称も、もう使ってないようです。
<道後温泉>
日本書紀に「塾田津の温泉」として記された史上最古の浴場。聖徳太子が湯治に訪れた湯として古典に有名ですが、一般的には夏目漱石の『ぼっちゃん』で超有名。発見はもちろん、お約束のこの二柱です。
本館は銘石の浴槽(2F)や石鎚山の陶板画、各所に散らばる湯玉シンボルなどがアーティスティックで見所たくさんですが、古代ファン必見なのは1F「神の湯」。男湯(西浴室)の陶板画や女湯の石像は見事なまでに大国主と少彦名で、その石像の下にはなんと!千家尊福サマの歌が刻まれております!! きゃああああ しかも浴室内では写真が撮れないのでフロントへ「あの歌碑って!!」と詰め寄ったら、つかさず歌詩と由来の載った案内ビラをくれました。うはあ
なんでも道後には「湯釜信仰」というものがありまして。湯は「神の世にあって地上に出てくるもの」で、湯釜は「神の世と現世を結ぶ神聖な道具」らしいのです。
で、初代の湯釜は奈良時代製作で、「もう古いから新しい湯釜に換えよう」となった時、「霊験あらたかな湯釜を捨てたら温泉街に祟りがあるのでは・・・」と恐れたそうな。江戸時代に湯神社を潰して近くの神社に合祀したら温泉が枯渇し(←温泉街にとって最恐の祟り)、あわてて元に戻したそうだから、その記憶が生きていたのかもしれません。そこで古い湯釜は湯釜薬師として祀り(@道後公園)、新しく鋳造した湯釜(二代目)に神威ある出雲国造サマに歌を刻んでもらったそうな。※詳しくは『温泉神社』『参照★
裏手の山には湯神社があり、彼らの伝説もそうじゃない伝説も色々残っていて、もう完璧。平成には駅前から道後温泉本館まで温泉街全体が大改修され、使い易くまた観光要素も豊富になりました。ミカンジュースが出てくる蛇口もあります