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登山、風土記の丘、発掘された日本列島、史跡や博物館、オススメ漫画

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登山、風土記の丘、発掘された日本列島、史跡や博物館、オススメ漫画


2026年10月4日発行
A4判、6頁、PDF、¥100
神社MAP:安積(郡山市中心) 1枚
会津磐梯&信夫 (福島市) 1/2枚
他、東山温泉/磐梯熱海温泉/岳温泉
考察:「イワ考」 県全図あり 2枚
「会津と磐梯」 2枚
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イベント参加時の「ついで参拝」に使える神社MAPの、岩背国(福島県の中通り&会津)バージョン。
福島県での同人イベント日に無料配布する、2つの神社MAPの合体増補版です。
※ iPhoneでDLすると色が少しくすむようです、ご了承ください。
※ 私的利用を超える無断転載・印刷・複製・ネット掲載を禁じます。
無料DL版は↓下のアイコンをクリック(@BOOTH:イベント時のみ1つ開放します)
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MAPはその地の固有神と式内社優先で、地図+文章スタイル。
信州と違い、複数の旧国&旧郷がうごめいてとうとう1つの県となったフクシマ。
「浜通り」(いわき&相双エリア)はきちんと神社巡りしたことがないので、式内の場所のみ。霊山神社や高木神社など地図の範囲都合で載せられなかった社が東部に多く、明治の「岩代国」の有名古社MAPとなっています。
以下、拾遺的な解説 ↓
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< 安積山 >
春姫伝説、なんか聞いたことあるな・・・と思ったら、あの奈良の「猿沢池の采女」(奈良時代に入水)とモロ被りしてました。時代的にも同じだし、能「采女」では同一人物として扱ってます。この縁で、奈良市と郡山市は姉妹都市になったそうな。
春姫が詠んだとして『万葉集』(巻16-3807)に収録されるこの古歌は、『古今和歌集』(905編纂by紀貫之)の序文では「和歌の父母」(和歌のお手本となる二大歌)のうちの1首として紹介。(万葉集は万葉仮名表記なので、正しくは「阿佐可夜麻 加氣佐閇美由流 夜真之井能 安佐伎己ー呂乎 和可於母波奈久尓」)
もう1首は、渡来人の王仁が16仁徳代に詠んだ「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」。古墳時代の歌なのに「仮名のお手本」とされて中世の手習い木簡が出土するほど人気があり、今は競技かるたの序歌として詠まれるほど有名。
東北博物館(多賀城市)には、2008年に紫香楽宮跡(滋賀県)で出土したこの2首の木簡のレプリカ展示あり。
尚、「
< おくのほそ道 >
好きです、芭蕉・・・。言葉を選ぶセンスというか、なんというか。もちろん駄作もあるけれど(←!)、東北旅「おくのほそ道」は秀作だらけ。
「カタビラ」は中世の肌着のようなもので、、基本的には「裏地の無い単衣」のこと。
平安時代の入浴時の麻の着衣「湯カタビラ」(後の浴衣)が元のようで、普段着が単衣の庶民には関係の無い単語でした。それがやがては鎧の下に着こむものや、戦場へ行く時の仕込み「鎖カタビラ」にまで発展。現代で言う「インナー」と思えば良いのかな?
郡山の宿がイマイチだったようで、見つからなかった「花かつみ」の句は詠もうとしても全く詠めなかったであろう芭蕉翁。しかも夏、歩いた距離に比例して肌着の汚れ具合も相当だったことでしょう。
その肌着をわざわざ「帷子」としたのは、地元(猪苗代湖)出身の有名な連歌師(猪苗代兼載:1452-1510)の歌↓を引用してのことだとか。
「安積山 片平越えて来てみれば 初ホトトギスおとずれぞする」
掲載した芭蕉句は、「あのカタビラを干すだけで通り過ぎちゃったよ、あの有名な安積山をさ」と感じました。
< エリア区分について >
「ずっと気になってた地名シリーズ」。
シワ考から始まりスワ考、シナ考(未頒布)ときて、やっとイワ考です。
せっかくイワイワしてたのに、県名には採用しなかったフクシマ県。
シワシワだった岩手県、シナシナだった長野県も同じこと、「わざと、そうしなかった」に違いありません。明治政府だもの、「以前の国名や藩名を絶対使わず」「意識を一新したかった」のでしょう。。。。
ついでに言及したいのが、この県を縦に3つに区切った「浜通り・中通り・会津」。震災でこの区分けを知って、確かに海上の震源地からの距離には関係あるのであの時だけの区分だと思ってました。なので山小屋で出会った二本松人(ままどおるくれた✨)に「通常のエリア名ですよ」と言われてビックリ。「交通の便」が南北に通り良く、海運と鉄道網が大きいからこういう分け方になるんだろうけど・・・・・・なんだか会津に対する悪意を感じるのは気のせいかな💧
少なくとも天気予報には絶対に向いてない。
ところで、今回の原稿作成時に「岩代国は
ええ?初耳・・・ 文人や役所が使ってる?それとも地元の人も自分たちの地域を岩州と言ってる?(昔だけ?今も?)
じゃあ、「磐城国」は「
しかも「磐越道」や「磐越線」が郡山を通り越していつの間にか磐城まで繋がっていて、これじゃ常磐線も磐梯まで繋がっていると勘違いする人が居たって責められないと思うのですよ。。。。いや、最近の相互直通運行は凄いから、そのうち行っちゃったりして💧
というわけでややこしいのです、フクシマ。
< ツツコワケ勢力 >
一番南の「白河郡」東部にはびこるツツコワケ。
地形を見ると「古代は茨城から八溝山南麓を通る方がメインだったのかな?」という感じです。 八溝山の西側の方が通り易そう↓↓

でも現・祭神が高彦(大国主の息子、葛城/土佐の神)って、一体何の関係でどこから来た話なのか。。。。近津信仰絡みだとしたら、宇都宮や常陸国と一緒に考えた方がいいんじゃない?ということで、福島県を語る時にはついつい除外してしまうエリアです。
< 安達太良山 >
なんて緩くて低くて広い、良い火山でしょう✨
「太郎が居るなら次郎はどこだ?」と思いますが、安達次郎はいません。春姫の彼氏が「次郎」だったらしいけど、あそこは安積郡だし。。。
アダタラは、まごうことなき「一人っ子長男」。言うなれば「一太郎」!
ところが一般的に「安達太郎」は夏の季語で、「雲の峰の異称(方言)」だそうな。
「雲の峰」というのは積乱雲のこと。急速に発達する大きな雲を人に見立て、昔はそこの地方名に太郎をつけて「坂東太郎」とか「信濃太郎」とか呼ぶのがスタンダードだった――のだとか。
安達太良山は、そういう巨大積乱雲が生じやすかったから命名されたのかもね?らしいです。Wが登山した時(7月)は濃霧&稜線は超強風(頭の先を向けないと進めないほど)でしたが💧
西麓の「沼尻」は工業的に硫黄採掘されていたくらいの火山度最高エリア✨ 何より温泉が最高ですよねえ。。。
岳温泉は土砂崩れで何度も崩壊したエリアの中で「比較的安定した地」を選んで新しく作った温泉街なので、大通りが真っすぐ伸びる情緒の無さが「??」状態。泉質も引湯方法も珍しい。当時の流行りだった共和国樹立(ミニ独立国)にしても、普通は市町村単体か連合でおこなってたもの。1つの温泉街だけでの独立は「は?!」だったのを覚えています。でもW的一番のキワものは、「ユヒ温泉大神」という「安達太良だけの温泉神」を祀る点。十二支巡りのウォーキングコースあり。
< 安達ケ原の鬼婆伝説 >
「自分の娘を殺してしまった!」と知り発狂→鬼女となり、当初の目的(自分が都で仕えていた病気の姫を助ける)も綺麗に忘れて岩屋に巣食い旅人を殺し続け、やがては「熊野の僧」に退治されてしまう(726年)、恐ろし婆さん「イワテ」。
ん??ということは、姫に仕えてた「都」って京都でなくて藤原京か!
更に、「胎児の生き胆」なら人口の多い都の方が入手しやすいだろうに、何故わざわざ東北へ・・・と考えると―――多分、ここがイワテの生地か縁の地(だから娘もここへ来た)。妊婦を殺しても隠滅できる手段があり、何食わぬ顔で乳母に戻るつもりだったのでしょう。もう、同情の余地も無い。。。
< 磐梯熱海 の萩姫伝説 >
南北朝時代に「都から数えて五百本目の川の霊泉に浸かれば病が治る」という不動明王のお告げで来湯し、全快した公家の娘「萩姫」。「萩姫祭り」(8月初旬)では温泉神社(湯泉神社)の温泉感謝祭で萩姫役が舞を奉納し、源泉神社の方では献湯祭が催されるとか。
ここの源泉は、源泉神社の方は「郡山市営1号・4号・5号・7号源泉混合泉」(略して「市営泉」)で熱め湯、湯泉神社の方は「神社保護組合泉」のヌル湯。なので、湯泉神社の手水はなんだか「湯冷まし?」な温度。そして湯泉神社の祭神は元は「湯泉権現」だったけれど、現在は大国主神を主祭神としている模様。。。
< 磐梯山 >
実際は西側に稜線が続いているし、平安時代に山頂吹き飛び→明治の「岩なだれ」(1888年:小磐梯山が水蒸気爆発により消滅)で北側崩壊→昭和(1954年)には大雨による大規模な斜面崩落・・・で今は明らかな三つ山だし、カンペキな成層火山ではないです。でも、南側や東側から見ると中々の存在感 ↓ (手前の赤埴山の斜面は猪苗代湖スキー場)

「昔の山容」は赤線の大きさ(想定)↑ そりゃ、シンボルにもなりますわ=3
登山口の標高が比較的高いので、登山としては初級。この三山(磐梯山・櫛ヶ峰・赤埴山)に囲まれたエリアや裏磐梯側は、火山好き湖沼好きにはたまらない超!ステキ空間🎵 裏磐梯は特に五色沼で有名。もちろん、ジオパーク!✨
ところがこの山、「往古、風土病である熱病が流行して病脳山と称されていた」(明治神社誌料)そうで、あまり宜しくない雰囲気。そこでふと、野口英世(1876年/M9年猪苗代町生まれ)を思い出しました。
前述した「猪苗代兼載」の生まれ変わりと称された天才。黄熱病などの感染症を研究した医学博士。メキシコ(ユカタン半島←30年前)に長く居た時、Wが日本人だとわかると「お前、ノグチを知っているか?」「彼のおかげでたくさんの人間が助かったんだ!」と話しかけてくる老人が多かった。「もちろん知っているよ」「知らない日本人なんて居ないよ」と答えれば、彼らは上機嫌。現地にはノグチ記念館もあった。アフリカに長く居た時も、現地の人が挙げる日本人の名前はまず「ノグチ」。。。。
性格や金銭的状況がアレで、色々な功績が現代の医療技術で否定されているけれど、やっぱり偉大な人だったことは間違い無いと思う。
< 会 津 >
北は盆地、南は山地を擁する広大なエリア、「会津」。古くは「相津」と書いた(記)。代表アイコンは「赤ベコ」(←赤嫌いのWも色々買いたくなる可愛らしさ!)
このエリアにも雁木(雪除け庇)があるようで、地形的(↑前掲の地形図参照)にも文化的にも越後(新潟)寄りなんだろうな~と思ってます。でも越後を皇化してきた大彦命が「ここ会津で息子に出会って皇化を終了した」から、越後にはならなかった感じ。そして息子の沼河別は、会津道(≒現在のR121)を北上してきたに違いない・・・
時間があれば色々調べたいエリアです。
< 東山温泉 >
今は共同浴場が一軒も無く、湯上神社も石段が凄すぎて(標高差250m)お祭りの時以外は参拝者皆無。かろうじて無料足湯(立派!)がある辺りはちょっとした観光地になっていますが、飲食店は少ないし土産物屋は宿の中のみだし、石碑も草に埋もれてて。。。。宿泊者以外は通常来ないし、来ても「なんだかなー💧」な温泉街です。
各神社も清掃・除草がなされておらず、社務所の真裏の高志王神社でさえ見事な寂れっぷり。消滅する前に参拝を!
< イサスミ騒動 > 岩代国一之宮
この「会津名称由来伝承」を有する伊佐須美神社は、Wが訪れた時(2006年)は「当時の宮司が楼門を閉鎖し立ち入り予約制」にしており、楼門前で拝するのみで終わった近代制定一之宮さん。(陸奥国としては二之宮らしい)
初回当時はネットも発達しておらず、「書にはこんな状態だとは載ってなかったけど、もしかして古式祭の潔斎期間?」と自分を納得させて帰りましたが、まさかイチ宮司の独断だったとは・・・💧
それが関係しているのか、2008年に不審火で社殿焼失。なんと火災保険に入ってなかった(!)ので仮社殿を建てるのがやっとで、当然宮司は「交っ替!」
今回の原稿作成時に「2030年には社殿を再建できそうな目途がたった」と知り、さっそく「仮殿のうちに参拝」し「再建後に再訪」の予定を立案しました。
→お参りしてきました。なんと、小さな拝殿が再建されていたのに、本殿は礎石のみの遺跡状態(笑) いや普通、先に仮殿建ててそこにご神体を納めるものじゃ・・・(もしや幣殿に格納?)。これはコレでレアだけど、いやホント、珍しい。まあ、拝殿が無いと参拝客が来ないからなあ。。。
境内には大きなテントの札授与所が2つあって、商魂逞しい感じ。Wもつい↓


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そんなこんなでNEXCOパス(max2泊)の効果もあって、このところ毎年「イワシロ旅行」しているWです。
今回(みちのくCOMITIAin郡山)は日曜から3泊だったのでパスは使いませんでしたが(←片道でも「休日割引」になれば価格はパスとほぼ同等)、まだ「行きたいリスト」の半分も行かれてないイワシロ。吾妻小富士や猫魔火山帯も行きたいし、酒蔵は結局1軒も行かれなかったし、イサスミ問題もあるし(笑) 来年もまた来ることになるでしょう。